2016年6月20日月曜日

VOL・100 上等か否かⅠ  2009・03

戦争直後のスーツを思い出してみると・・・、

などというフレーズは私にさえも書けない昔の話になってしまったので、

もう少し時代を引きつけて90年代の初め、ソフトスーツとやらがもてはやされた頃のこと。

ズボンは太ければ太いほど最新流行のように感じられたものだ。

当時としては美学であったのだろう。しかし、20年もしないうちにそれはとんでもなく

間違えたことのように思えてしまう。

スーツというものが完成をみて約100年超。大きくは変化していない。

ズボンの太さ、つまり渡りや裾の幅は意匠寸(デザイン寸法)である。

こういったデザインを除けばスーツは大きな変化をしていないのだ。

だから戦後の著名人のスーツ姿を見てズボンが太いからダメだと言うことはない。

逆に、いいスーツだと褒めたりする。

スーツに限らず、我々の身の廻りの物には、上等な物とそれ以外の物とが存在する。


高価であれば上等かというとそうでもない。誰もが上等と認める物なら、誰が着ても上等に

見えるかも疑問だ。私見としては、上等な物は雑味がない。常にシンプルである。

「個性的なお洒落」という言い回しがあるが、こと男の服に関する限り上等な表現ではない。

男の上等なお洒落は、本筋、正調でなくてはならないのだ。

瞬間最大風速的に、ギミックやデザインの虜になっても、時が風化させ、過去の汚物・雑味に

変わってしまう。つまりそういった奇をてらったところがない服こそ上等な服である。

志が高いとでも言うのだろうか。素材とフォルムの完成度で勝負を挑んでくるこそ美しい。

正調の逆は何かといえば、「場違い」である。いくら「はずし」のお洒落と言ってみたところで、


場違いの領域に突入してしまうと高価な物でもミミッチく感じてしまう。

《次号へ続く・・・》

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