2016年6月20日月曜日

VOL・101 上等か否かⅡ  2009・5

上等な服には、上等な着こなしというものがあって、由緒正しく目立たないのが望ましい。

周囲はやたら似非(えせ)個性を追いかけているから、結果と して品良く地味目立ちする。

さらに男子たるものの着こなしは、少し野暮にしてみる。

スキのない着こなしほど下等に映ってしまう。高価な貴金属のタイタックなどいただけない。

ヨーロッパを旅して、ネクタイを何かで留めている男に出会ったことがない。

揺れるネクタイで少しだけスキを見せる。服や車を威 嚇の道具としている人たちを想像するといい。

まるで映画の詐欺師かギャングのようだ。

婦人服の場合も同様で、あまりにもセクシーすぎる着こなしは、いら高価でも知性を感じ得ない。

上等・正調の対極にある場違いを見掛ける事は多い。どんなによく出来た服でも、流行りすぎると

下劣に見えてくる。流行りすぎ た服などユニフォーム的効果しか生み出さない。

最も目立たなければいけない 筈の着手の顔が透明になってしまう。

個性などというものが数百万の出費で買 えるのなら安いものだがそうはいかない。

ロンドンでのエピソード。由緒正しきジェントルマンの店は、傘とステッキ、帽子、葉巻、テーラーなど

数々ある。ここはひとつと思い切って足を踏み入れた。「カナイヘルプユー・サー」店のスタッフに声を

掛けられる。慇懃というのはこういうのを言うのだろう。それ以上もそれ以下もないという態度である。 

小説や映画に出てくる老練な執事の如くといった感じだ。慇懃の下に無礼がつように思われるのは、

こちらの気持ちが卑屈なせいか。きわめて上等な接客に電気が走る。

というか下等な田舎モンが緊張して気を失うも当然。

500£ もするこうもり傘を買ってしまった。どこかに置き忘れて、今はもう無い。

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