2016年6月20日月曜日

VOL・102 スーツのはなし ノベライズ(前編) 2009・06

きょうは絶対に残業はしないと決めていた。

急いでデスク廻りを片付けてオフィスをあとにする。夕陽が美しかった。

待ち合わせの日には雨が降らないジンクスもいつも通りだった。

約束の時刻までまだ30分ある。会社は数年前からクールビズを認めていたが、

つまらない事を決めるものだと思っていた。紺地にくっきりと立ったピンストライプのスーツに、

白無地のスプレッドシャツ。靴は黒のストレートチップ。どれも趣味の良さを感じさせていた。

その日の仕事に合わせて着こなす上手さは社内でも定評があった。

朝、部屋を出るときは完璧と思っていた筈だが、何となく落ち着かない。原因は解っていた。

ネクタイだ。1ヶ月前に彼女にプレゼントされた物だ。ネクタイとスカーフは違うといつも話していた

から気を遣ったのだろう。比較的ベイシックな物を選んでくれてはいた。

だが生地のタッチや微妙な色は、やっぱり女性の目で選んだ物だった。久しぶりに会うのに他の

ネクタイを選ぶわけにはいかなかった。

早歩きの約束の場所とは逆の自分の部屋へ向かっていた。ネクタイの話は避けたかったし、

昼間着ていたスーツなど彼女には知る由もない。4階までエレベーターは使わず階段を駆け上る。

1度戻って着替えるとなると、もうスーツの気分じゃなかった。ウールと麻が半々の生地の少し黄味

がかったベージュのジャケット。合わせるパンツは白とライトグレーを迷ったが、純白の麻のシャツ

にすでに袖を通していたから、くだけ過ぎはイヤな気がしてライトグレーの方に。

靴はタバコスエードのスリッポンだ。裸足は作為的な気がして靴下は履くことにした。

これならネクタイはなくていい。部屋のドアをロックし、約15分遅れることになるとメールした。

外は少し暗くなり始めていた。

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