2016年6月22日水曜日

VOL・114 買う技術・使う技術  2010・06

メンズのクロージング(重衣料)の分野もいつの間にかスタイルよりもトレンドが

語られるようになり、わかった振りをしたにわかトレンドの服が次から次へと現れてくる。

売る側は、買う側もきっとそういうものを欲しがっていると考えて疑わない。

洋服の歴史の浅さを恥じることもなく、クールビズなどという発想が飛び出してきたりする。

服を買うことは、売ることと決して同義ではないと思いながらも売り続ける毎日だ。

「お客様のために」おかしなスーツのオーダーを受注してもよいのだろうか。

本質の部分(フォルムや縫い)よりも、ポケットは斜め(スラント)で、スーツやシャツの釦ホール

ステッチは色糸を使ってなどというディテールありきの注文を、顧客のためという大義名分で

受けてしまってはロクな服はできない。どちらかというと不粋な客の不粋な注文である。

粋な客の物の買い方、「明日の商談のためにシャツとネクタイを」とか「はるか遠く海外

(たとえばパリやミラノ)へ行ったつもりでスーツを作る」というふうに、それを買ってそして

使ってどうしたいのかが見えている。ビジネスウェアの範疇を逸脱せず、少しだけ粋な感じを

取り入れている。

不粋な客も不粋な服も、売る人がいるから買う人がいるわけだ。

いつの時代も、不粋な物、事、人があるから、対極に粋な物、事、人がポジションとして成立して

いると納得するしかない。

景気のせいで勘違いされたエコロジーとエコノミー。あなたの「エコ」はどっち?

低価格にさらされる服も不粋なディテール花盛りだ。デフレはセンスも低下させるのか。

服に限らず我が国の消費も、買うだけでなく、使い込なす技術の蓄積を考えなければならない

歴史上の節目にさしかかっている。

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