2016年6月22日水曜日

VOL・118 黒という色  2010・10

感覚とは習慣的なものである。

それが社会現象になった例。発泡酒やアルコールフリーなどのビールテイスト飲料。

税制の話しは別にして、ビールを飲みたいという習慣の為に考案された疑似飲料である。

メーカーとしては、違う味で習慣打破を目論むより迎合した方がよいという一例だ。

それにしても日本の技術は凄い。

次に車の色。要人が乗るショーファー(運転手)付きの車はすべて黒。

やがて黒が高級に感じるようになり、今や車の色はその大小に関係なく黒が人気だという。

学生服や礼服を除けば、黒は衣服の色として日常的に用いられていなかった。

女性社員の服装なども、紺が主で濃いグレーがそれに続く感じだった。

昨今は男女、スーツなどのアイテムに限らず黒い物を身に着けていない人を捜す方が難しい。

黒は全ての光を吸収して神秘・厳粛のシンボルカラーであり、沈静・悲しみの色として喪服にも

用いられてきた。うまく使えばシックで上品にもなる色である。

ところが、この黒という色が発する感覚が大きく変わった気がしてならない。

静寂に身を包むべき色が、裏の意味、つまり攻撃的な強めの意味を持つようになった。

その無機質さが威圧感(押し出し)を増幅するのだ。前出の車体色も同様な変化だろう。

着手は、無難で簡単にお洒落っぽさを手に入れられると思っているのだろうが、黒の性格は

複雑だ。黒ならではの上手な着こなしや色合わせが出来ている人は多くはない。

時代のムードに合う色と判断しているのだろうか。安易、無難、厳粛、シック、威圧、

難しい色である。普通の生活者であるひとりの男性が、ワードローブの基本を黒にするのは、

陥りやすい間違いであり、危険なことである。私の日常には黒を用いない。 

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