コピー商品が悪いのはわかっている。
別の観点から意見を交わそうと思った。
本物には問題はないのかということだ。
アジアを旅すれば必ずといっていいほどコピー商品が売られているのを目にする。
SAクラスのコピー商品は本当に良くできていて、素人には見分けがつかない。
箱やリボンなどの包材も完璧だ。その技術を正しい方向に向けられないものかと思う。
しかし、そのコピーが一万円で売られている。本物はというと、約十万円だ。
どう考えてもコピーのほうが生産ロットも少なく、効率的に作られているとは思えない。
だが一万円で売っても利益が出るのだ。となれば、十万円で売る本物はどれだけ
儲かっているのだろうか。
こんな話もした。ブランド品の工場で働く職人が退社した。昔の仕事仲間に原材料を
横流ししてもらい、同じ物を製作した。
これって本物? 偽者?
無論、商標管理がなされていない場所で作られたから偽物なのだが、
本物より良くできていたりする。
田原の仕事は、ブランド各社の要請でコピー商品の出どころとその流通を調べることだ。
つまりコピー商品の市場調査を報告書としてまとめる。
そこから先は公的捜査機関にバトンを委ねることになる。
身辺が気がかりだが、杞憂であることを願っている。
田原はスーツを有意義に着るひとり男として、こう語る。
自分のようなフリーランスの人間は、ジーンズとTシャツでも仕事はできる。
しかし、スーツという服は世界中のどの街でも違和感を覚えることがない。
必要なら仕事の為に街に埋もれることもできるし、ここぞという時に自分を引き立てることもできる。
選択さえ間違えなければ、一着の同じスーツでそれが可能だ。
寡黙さと冗舌さを兼ね備えたその不思議さに心惹かれる。
着こなし方を見れば、その人がわかる気がするのも興味深いことであると。
<完>
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