2016年6月16日木曜日

VOL・17 本質追求  2002・5

服には流行があり、人の心を豊かにするホルモンを分泌する。

スーツを作って売る立場の筆者が言うのもなんだが、いくら裸で歩いている人がいないとはいえ、

こんなに服が氾濫するのもどうかと思う。ギミックだらけの今すぐ売れればいいだけの服。

マネーゲームの手段の如く閃光のように一瞬の輝きで、ひと月もすればゴミになっていく服たち。

売る側にも買う側にも媒体にも責任があるかも。

過号で述べたが、紳士のスーツは百年もの間、本質は変わっていない。


スーツは服の中でも唯一、パッドや芯地を用いた詰め物をした服である。

芯据えやいせ込みによって、胸のボリュームやアームホール等の美しさを形成することができる。

近頃多くなったパッドや芯地を省いたスーツもその対局にある訳ではなく、本質を忘れずに技術を

駆使した賜物である。

男服は女服と異なり、本質は縫いがすべてでデザインは時代とともに変化する。


同じ型紙でも工場によって違う上がりになることが象徴的である。

買い手が見てくれのデザインで服を選ぶのは致し方ないが、無責任な作り手と売り手の所為で、

本質に疑問のあるスーツが、市場にはゴロゴロしている。

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