2016年6月16日木曜日

VOL・36 文化・風俗・流行  2003・12

ソフトスーツを着て爪楊枝を咥えたオヤジが二人連れで入ってきて、「三つ釦が多いね。」と言う。

上質なクラシックスーツとは何ぞやと説く気もないので、丁重にお帰り願う。

「流行りは気にせんけん。」と言われても、昔の流行を今も着ているのはどうかと思う。

そのスーツを10年前に買ったのか、残り物をどこかのセールで買ったのかは知らないが、なぜ

そのスーツなのか根拠が探れない。スーツのフロントの釦の数が、2つだとか3つだとかどうでも

いい事。クラシックスタイルでは、3つ釦の第1釦は捨てる(留めない)のが普通だし、衿の返りを

決める案内線も限りなく2つ釦に近づいている。もっとフォルムや上品さに目を向けて欲しい。

風俗や流行なんてものは、より楽で、極端な方向に流れていくもの。今の少年たちのストリート的な

着こなしを見ても、サイズはどんどん大きくなるし、腰穿きのパンツはさらに下がっていく。彼らの中

にはそれでも、格好いい奴と悪い奴の区別はたぶんあるのだろう。極端はより極端に振れるから、

もっと大きめを着るようになるだろうが、最後は対極の細い方へ振り戻すと思われる。その頃には、

彼らもオヤジになり始めて、品のある細身の服にはもう食指を動かさない。そうしてファッションリー

ダーの座から降ろされる。

ファッションと言う表現は時代の気分だから、所詮うつろいやすいものである。バブルの頃、皆が欲

しがったイタリアの大御所A氏の服も今となれば、タンスの肥やし。時代の変化と、着手自身の環

境の変化とで、身に着ける物も少しずつ変化する。流行を追う方が楽だがお金は掛かる。自分に

合った永く着れるスタイルを見つける事が出来れば、散在しなくてもいいと思うのだが、ファッション

の誘惑はそんなに甘くなさそうだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿