2016年6月16日木曜日

VOL・41 味について考える  2004・5


味のある服という表現がある。

綿のスーツはシワクチャになるから味が出る、3年ぐらい着込んで生地がクタッてきた綿のスーツを

スニーカーやドライビングシューズなどで着こなす味は、簡単に表現できるものではない。

盛夏素材の綿や麻のスーツ、ジャケット、パンツは本来、家や旅先のホテルを出る時はきっちりと

プレスされていて、一日の行動と共にシワが増し、その変化を楽しむ。手間の掛かる贅沢な着方で

ある。

そこで表題の味である。

程よく生地が草臥れた味のある服? 別の人がそのままで着ても同じ味を感じ得るのだろうか。

そこがこの件の難しいところで、味のある服を味のある着手が身につけるから味がある訳である。

綿素材の服はコートやジーンズ、Tシャツに至るまで、着込んだ味が一つの商品価値になってい

る。

自分で時間を掛けなくても、初めから洗い等で加工された製品が多いのも頷ける。

皮革製品もアンティーク仕上げなる加工が一般的になった。使い込んで雨や汗が染み、色むらが

出来た感じを初めから表現している。白くワックスの粉を吹いたサドルレザーの鞄などが、今でこそ

重宝がられるが、昔は理解してもらうのが難しかった。

この味というもの結構厄介で、新しいものが使い込まれ古びて朽ち果てる寸前の状態なのだから、

悪く言えば物は寿命に近づいている筈。人は自らの時空を投影し、物に愛着を持つ。そうなると人

と物との味出し勝負で、味のある物は、味のある人が身に付けて始めてバランスする。

輸入物の方が味があるという。確かに作り手も着手も味出しが上手いから余計にそう感じられるの

だろう。日本の作り手たちもいまや味のある服づくりを念頭に置いているから、そう捨てたもんじゃ

ない。

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