2016年6月19日日曜日

VOL・46 心のドレスコード  2004・10

身につける衣服・靴・鞄は、そのセンスが良くても悪くても、

着手の体の一部として見られている。

我々洋服屋はルックス請負人だから、外見を販売している。


生活者たちは自分と一体化する物にはすごく気を使う。

ところがそれ以外の物、吸殻、自転車等は、自分の体から離れたら知らん顔。

勤者、来街者で公営私営の駐輪場の利用者以外の心ない人たちの傍若無人ぶりには、

あきれるのを通り越して腹が立つ。ここに留めるなと言えば別の所に留めるだけ。

福岡市内のほとんどの場所は駐輪禁止なのを知っているのだろうか。

それどころか、駐輪禁止の表示の前に堂々と留めるのだから、明らかに確信犯の筈だ。

群衆心理というか、困ったものである。

弊店のある大名地区では、今のところ歩行者天国の道路はひとつも無かったと思うが、

平気で道の真ん中を闊歩する。車が来ても避けない。

中洲の酔っ払いのオイシャンでも道の真ん中なんか歩かない。

空き缶やゴミを棄てる。というか、置いていく。

とにかく自分の身体から離れたものには責任を持たない。

店のウィンドーに写る己の姿を気にしながら歩いているのに、今乗り捨てた(留めた)自転車、

ポイ捨てしたゴミの事は忘れている。自分の着こなしのドレスコードは持っているけど、


心のドレスコードが無いから、町(街)がきれいにならない。

具体的な着こなしのテクニックと共に品性について何度も述べてきたが、


品性こそがドレスコードであり、ソーシャルオーダーというものだ。

暴力的な格好よさもファッションの一部だが、時代と着手の年齢における一過性のものだから

長続きしない。見える所だけお洒落にして、見えない所はゴミタメでは、きこなしも町も本当に

センスがよくなったとは言えない。お洒落な服着て歩く町もお洒落にしてあげたいと思わないの

だろうか。

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