2016年6月19日日曜日

VOL・50 身嗜み  2005・2

日本には微妙なニュアンスを表現してくれるいい言葉があるものだ。

平生は「お洒落」といっているが、何か物足りなかった。

「身嗜み」の方がぴったりくる気がしている。身嗜みという時、

心と教養といったマターも包含される。

身嗜みの無いところには、お洒落もなければ、個性もあり得ない。

刺激の強い物でないと着ている気にならない人がいる。若いうちは少々風変わりな物を


着ていても、何とかなるものだ。しかし、個性的かと問えば、単にファニーなだけである。

個性とはもっとレベルの高いもので、人と違う事ではない。抑制の効いた着こなし、

つまり基本がきっちりと出来て初めて個性を求めるべきである。

いや、安易に個性なんか求めない方が、分別のある大人に見える。素材が上質で、

仕立てがよくて、体に合っている者をストイックにコーディネイトする。

いつの時代の洒落者たちのスーツも、完成度は高いけれども、


これといって大きな特徴は見られないものである。

身嗜みとは着こなしと行為(立居振舞)を合わせたものだと思う。


つまり自分の行為の為に服を着こなす訳だ。過号で述べた様に、自然な立居振舞の為には、

着装するまでは細心の注意を払い、その後は全てを忘れて服への意識を感じさせてはいけない。

どんなに頑張って派手な色柄をコーディネイトするより、完璧なフォルムの無地あるいは


ストライプのスーツを、白のドレスシャツ、フーラード(小紋)のネクタイと合わせた方が

エレガントに見える。

センスよく見える紳士ほど、色柄よりも素材とフォルムを念頭に、物を選んでいる。

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