2016年6月19日日曜日

VOL・52 感受力「センス」  2005・4

人に会う、着ている物を見る。

幻滅する人もいれば、ワクワクさせてくれる人もいる。

決して高価な物や、モードの先端の服を着ている訳ではないのになぜかバランスがいい。


色合わせや、形や、分量感に均衡がとれている。取り敢えず着とけ的な感じではない。

あくまで外見ではあるが、センスがいいなと思える人ほど、服や着こなしを

自己表現(アイデンティティ)と考えている。皮膚感覚というか、自分の体の一部の如く

生理的に認識しているのだろう。

男は心意気。中身で勝負。そんな言い訳で大手を触れる時代ではなくなった。


外見で表現できなければ、心意気までも疑われる。

ビジネスセンスと服のセンスを切り離す事の方が難しいのではなかろうか。

大名で仕事をしていると町内会みたいなもので、バーや飲食店のスタッフと懇意になる。

各店のスタッフが出勤してくる。当然、私服だ。例外も多いけれど、いただけない通勤着。

百年の恋も醒めてしまう。サーブする物の味や会話のセンスと、服のセンスにはそんなに

距離があるとは思えない。

アパレルに限らず、飲食店も含めて、店と顧客の関係は「類は友を呼ぶ」である。


センスの相性というものだ。物だけを授受するのでなく、そこにはセンスという付加価値が

ついてくる。仕事の舞台でこそ、マックスの力を発揮すべきだが、舞台裏をおろそかにしては、


柱さえも揺らぐ。

その服、破けていないからまだ着られるけど、センスが品切れしてはいないだろうか?

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