2016年6月19日日曜日

VOL・66 ボロは着てても心は錦!?  2006・6

本誌の前編集長と久しぶりに会った。

そのS女史曰く「6年前、執筆をお願いした時は、スーツの着こなしのハウツーを書いて

欲しいと思っていました。その頃から、ハウツーなんてイヤだと言っていらしたけど、

今はスーツ(服)をからめてのエッセイ色が強くなって、着こなしの内面を表現されていますね」と

言って頂いた。自分では誉めてもらったと思っている。

ハウツー本で着こなしが上手くなるのなら、ファッション雑誌は溢れんばかりだから

そちらを読めばいい。内面は外見に必ず現れると思っている。

数時間あるいは何日もかけて自己説明するより、解りやすいではないか。

スーツを着用しなければならない仕事に就いていて、ジーンズを穿いていく人はいない。

注意されて、それでも続けていればクビになる。なのにコーディネイトやサイズ合わせに

関しては何も言わない。高額なスーツを着て欲しい訳ではない。

体に合わせて補正をして着る。ドレスコードはルールだからセンスを問わない。

対して着こなしはマナーだ。だらしないのはマナー違反だと思う。

常々述べてきた様に、我々売り手側の責任も大きい。着手の内面と対峙して服を売り、

そして幾許かの利潤を得る。内面を表現できる外見を売らなかったら、泥棒になってしまう。

売り手は着手のルックスに責任を持つ必要がある。スーツ自体の格好良さを、

着手その人ならではの格好良さとして昇華させるのが仕事だ。

人は意識の有無にかかわらず外見で自分を表現している。

お洒落な人は勿論だが、そうでない人はマイナスの自己表現をしている事になる。

もっと服は自己表現であるという意識を持ち、手段として活用すべき。

そこのダンナ!、着る物はカミさん任せなんて体のいい責任転嫁はもうやめにしませんか。

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