2016年6月19日日曜日

VOL・76 表裏一体  2007・4

時間を費やして自己説明するよりも、ルックスが多くを語ってくれる場合があるが、

何事もバランスを失って片寄ると、幼稚性が見えてくる。少しシャに構えて物事を見るとする。

ファッションなるものを見栄の道具として用い、時代(トレンド)に敏感なことを自慢するだけの

愚かな人々。中身の薄い若い世代、誰にでもある一時期とは思うが、やたらとルックスだけを

気にする。マスコミに影響される。テレビの裏側とやらがおもしろい?ならば、テレビを後ろから

見てみる?

服は一度着てしまったら、黙っているに限る。何かを言われても無関心を装うのが良い。

自らの着ている物についてしゃべりすぎると、どんなに高価ないい服も稚拙に見えてしまう。

さらに困ったことには、着手本人の軽薄さだけが際立つ。私のような洋服屋なる生業も

例外ではなく、どこかしら幼稚さを包含していて、その事にずっと負い目を持ち続けてきた。

欧米を旅すると「大人の国だなあ」と思う。翻って我が国は子供(年齢ではなく)の社会だと

思うことしばしば。しかもそのパワーがすごいから、大人が目立たない。

大人になりたくない若者も多い気がするし、大人になることに憧れを抱かせない

当の大人たちにも責任がある

中身と外見なんだ。中身が無いのに外見を飾り立てても稚拙なだけだ。

長く生きていたり、ちょっと知識や経験や財力や地位資格があるからと、

それをひけらかしては軽んじられる。

人は皆、我がままでその我がままな個を主張する事は容易でも、他人の個を謙虚に認める事は

難しい。大人へのハードルは高い。 

洋服屋のポジションに居ると先人の洒落者列伝を目にすることが多いが、内外問わず

そうした先人の中には人格者がいかに多い事か。

正に中身と外見は一枚の表裏である。

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