2016年6月20日月曜日

VOL・79 知識で着る  2007・7  

「ダンディ」、もう既に死語になりそうな言葉である。

「ちょい不良(ワル)」という表現とは似て非なる響きがある。

男は外見より中身というが、それは嘘だと思っている。

両方とも大事な男の条件だ。

お洒落はうわっついたもので、人の内面とは無関係という教育?がなされてきた様に思う。

本人の思想やセンスが一体となり、経験を生かしたコーディネイトや生地選びの知識が必要だ。

例を挙げれば、スーツに合わせる靴はオックスフォード(紐付短靴)。

ブーツやローファーを合わせてはならない。もし合わせるとすれば、

それは知識をふまえた上でのハズシでなきゃいけない。ハズレではないのだ。

そんなカタイ話はどうでもいいと言うムキもあろうが、解る人には解るものである。

ちゃんと見ている。

知識とセンスが合体して服装術と言えるのだから、強力な説得力を持つことになる。

逆に言えば、服装に無頓着であるという事は、自分を粗末に扱っているのと同じ事であるし、

他へ失礼な態度を示していると考えざるを得ない。

「ダンディ」と言う時、内外面を包括したニュアンスがある。「ちょい不良(ワル)」とは違う。

カッコつけるのと粋なのが違うのに等しい。学校教育をいくら積み重ねても教養とは言わない。

人間生きていればあらゆるところに教養が発露する。

おカタイ話だけでなくユーモアだって教養である。

教養の石杖は知識である。一度、スーツに関するご自身の知識を整理してみてはどうだろうか。

入れ込んだ趣味には、皆そうやっている筈。もしファッション誌に頼るなら、どうか隠れて読んで

欲しい。人前でそんなもの読むのは恥ずかしい。そう感じる事が出来てこそ教養の持ち主と

いえる。時代に関係なく、素敵な女性は人前で化粧しないのと同じだ。

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