「ダンディ」、もう既に死語になりそうな言葉である。
「ちょい不良(ワル)」という表現とは似て非なる響きがある。
男は外見より中身というが、それは嘘だと思っている。
両方とも大事な男の条件だ。
お洒落はうわっついたもので、人の内面とは無関係という教育?がなされてきた様に思う。
本人の思想やセンスが一体となり、経験を生かしたコーディネイトや生地選びの知識が必要だ。
例を挙げれば、スーツに合わせる靴はオックスフォード(紐付短靴)。
ブーツやローファーを合わせてはならない。もし合わせるとすれば、
それは知識をふまえた上でのハズシでなきゃいけない。ハズレではないのだ。
そんなカタイ話はどうでもいいと言うムキもあろうが、解る人には解るものである。
ちゃんと見ている。
知識とセンスが合体して服装術と言えるのだから、強力な説得力を持つことになる。
逆に言えば、服装に無頓着であるという事は、自分を粗末に扱っているのと同じ事であるし、
他へ失礼な態度を示していると考えざるを得ない。
「ダンディ」と言う時、内外面を包括したニュアンスがある。「ちょい不良(ワル)」とは違う。
カッコつけるのと粋なのが違うのに等しい。学校教育をいくら積み重ねても教養とは言わない。
人間生きていればあらゆるところに教養が発露する。
おカタイ話だけでなくユーモアだって教養である。
教養の石杖は知識である。一度、スーツに関するご自身の知識を整理してみてはどうだろうか。
入れ込んだ趣味には、皆そうやっている筈。もしファッション誌に頼るなら、どうか隠れて読んで
欲しい。人前でそんなもの読むのは恥ずかしい。そう感じる事が出来てこそ教養の持ち主と
いえる。時代に関係なく、素敵な女性は人前で化粧しないのと同じだ。
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