今さらと言われるだろうか。「スーツのはなし」をお読みいただく前提がひとつだけある。
この頁ではあくまでビジネスマンまたは国の内外問わず公務に携わる人々の為のスーツと
その周辺アイテムについて語ってきた。なぜ今頃になって注釈を入れるのか。
ビジネススーツといえども、ファッションという大きな拘りの中の部分集合であることを
認識しておきたい。その上で、同じ拘りだが違うものである認識が必要。
デザイナーの名を冠したスーツや大きくモードに傾倒した服を否定し続けているのは
その為である。
「そんなことは解っている」という声が聞こえるが、よく考えて欲しい。
クラシックな服を着ていても、知らず知らずのうちにファッショナブルに着こなそうと
思ったりしていないだろうか。上手く着る事とファッショナブルに着る事は別次元だ。
既製服でもオーダーでも、フロントの釦の数や細部のデザインは二の次である。
販売員やファッション誌は「流行りの・・・」と紋きりでやってくるが、大事なのは肩・胸・腰・尻と
つながる服のフォルム(プロポーション)である。意匠寸は時代と共に若干の変化しかしていない。
それなのにスーツのデザインが無尽蔵にあるかのごとく思えるのは、デザイナーのスーツの
トラップに過ぎない。もちろんクラシックなスーツに流行らしきものは存在するが、
あくまで穏やかである。時間の経過があからさまではない。
歳を重ねた分だけ、上手く着こなし、上質な服を身に着けるのが当然の流れだと思うが、
意外に服装に対して無頓着になったり、突然高価なデザイナーの服を身につけ始めたりする。
服装を知識として捉えず、ファッショナブルに装う事に傾注してしまった弊害である。
モードの犠牲者と言ってもいい。
確信犯的に、一瞬の流行の為に大枚を叩くのであれば、いつも心にブレーキを。
0 件のコメント:
コメントを投稿