2016年6月20日月曜日

VOL・88 審美眼  2008・04

人が作り出す物、服、建物、車などすべてにデザインが施されている。

ハイテク、ローテクに拘らず、何らかの ’かたち’ というものが存在する。

ファッションの世界では、そのデザインを称してモードやらクラシックやらと表現する。

とりわけトレンドと呼ばれるモノは、今は良くても来年には魅力を失う可能性が大きい。

トレンドという麻薬が効力を発揮しているうちはとりつかれるが、薬が切れたとたんに、

よくこんな物着てた、恥ずかしいと思う経験は誰にでもあるものだ。

散財を強いられて学習しながら、服に対する知識を深めていくと、そんなに色々な物(種類)

が必要でない事に気づくようになる。デザインの呪縛から逃れるには、欲望を捨て去るか、

欲望のままにすべてを買える財力を身につけるしかない。

現実的にはそれは無理だから、審美眼を養い、後悔のない物選びをするしかない。

人と違っていたいという単純な欲求ならば、マスプロされた物には手は出せなくなる筈だが、

全く人と違うというのも疎外感があるから、ちょっとだけ変わった物に手を出す人は多い。

身に着ける服に限らず、いつも使う物として自分の傍らに置き、飽きずに使い続けられる物とは

どういう物なのだろう。スーツで例えるならば、良質の素材に技術を駆使して作られた完成度の

高い物。それに加えて奇をてらったデザインなど不必要で、シンプルである事。

いかに着やすく、いかにスタイリッシュに見えるかがポイントになる。

トレンドに距離を置いて、服に無頓着になるのではなく、第二の皮膚として普通のものを

普通に着ることが一番。

スーツを選んで着る行為は、自己表現のためのひとつの言語ではないだろうか。

しかもこの言葉は世界に通じる。奇をてらったり、没個性になったりしたら、

言葉として通じないものになる。

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