2016年6月20日月曜日

VOL・96 笑窪のつもりが!?  2008・12

スーツを着こなす時、主観と客観が大きく異なることがしばしばある。

着手の主観で良いと思った物が、傍で見ている人達の客観では良く見えないのである。

いつも同じようなものばかりだからという理由で、思い切って!!買い求めたネクタイ。

だいたい失敗する。ひとつのアイテムが目立つということは、全体感であるスーツの着こなしを

大きく崩してしまう。スーツもシャツもネクタイもお気に入りなのに、合わせてみるとてんで

バラバラ。それに気付かぬ本人は自慢顔。全てが渾然一体となっていない。

何かが、あるいはすべてが目立ちすぎているのである。

スーツやジャケットを日常的に着る職業の人々において、数は必要だが、種類というものは

さほど必要ではない。私と同業のイタリアの先達はこのように言う。

「ネクタイ、上質で作りがしっかりとした紺と茶の無地と小紋が十本もあればいいではないか」

「黒と紺以外に靴下の色があったら教えてくれ」

想像するに彼らは、ネクタイなら数百本、ソックスも相当数所有していると思う。

達人ほどいつも同じ着こなしに見える。

いや、少しずつ、すべてが違っているのだが逸脱せず同じに見せている。

スーツの着こなしに限って言えば、学習して自分の物にすれば必ずや、そこに落ち着いてゆく。

単なる好奇心だけでスーツやシャツやネクタイを選んでいては、

いつまでもまとまりのつかない結果が待っている。

数は豊富にあるのだけれど種類は似通っている。そういう狭いところに入っていっても

窮屈さを感じなくなった時、深い着こなしが理解されるのであろう。

プロ・アマを問わず、その道に精通した人は難解な事象がシンプルに見えている。

逆はと言うと、簡単な事さえ難しくしか見えていないものだ。

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